たくさんの英国の上流階級の人々がオーストラリアに入植した時代がありました。
その中には、家臣や、即戦力となりうる労働者を連れた人々もいました。
ベッドフォードシャーの地主で、国会議員の1人でもあったトーマス・ポッター・マックイーンは、1823年に
10000エーカー(4000ヘクタール)の土地を払い下げられました。
彼は、その後の1825年、ハンターバレーに機械工、農夫、羊飼いの一団を送り込みました。
1825年から1838年にわたり、マックィーンは42000ポンド(84000ドル)の金をつぎ込んで荒地を開いて種をまき、つぎ木をし、品種改良までして農業の発展に努めました。
1830年代には4年の間オーストラリアに住まい、移住の将励、擁護を行ないました。
1820年代、1830年代にはスコットランドからも上流階級の人々がやって来ました。
19世紀初頭、スコットランドでは商業、農業の改革がおこり、ある者は新たな財をなし、またある者は没落の憂き目にあいました。
この様な傾向と相まって、人々は植民地オーストラリアに目を向けたため、エジンバラとその周辺地域から、かなりの数にのぼる人がオーストラリアに渡りました。
オーストラリア商業の可能性を探るため、1822年にはエジンバラとリースに「オーストラリア商会」が設立されました。